ニジマスと仲間

※肩の力を抜いてお読みください。 

この記事を見てくれている人がいるのなら、どうかこの文章を読んで、私を感じてください。人を意識して書こうとすれば、私は無意識に言葉を選び平静を装うので、独り言のように書き込みます。言葉を選びまくり文章が冗長になってしまうかもしれないが、簡潔に記すように心がける。

 

--私には、いま生きる気力が完全になくなっていて、人生をやけくそにしてしまおうと考えている。メンタルが弱いときの人間と言うのは、何を考えてもムダだ、ということは分かっている。

最近は、ナイフを壁に固定して、思いっきりぶつかれば失血死できるのではないかと考えている。自殺。だがしかし、死んだ後の世界がこの世より楽だとも限らないから向こうの世界には行けない。

自分にとって、善い生き方と言うのがなにかわからない。

 

自分にとっての本当の幸せとはなんだろうか。

私は教育家の道に進んで、幸せになれるのだろうか。競争を勝ち抜いて就職し、そのあともその地位を維持するために努力研鑽し、競争を勝ち抜いて他の人に勝てるだろうか。

不安で不安でしょうがない。私はすでに負けたのだ、そういうことにしたい。もう闘いたくない、意志はどこかで消失してしまった。

将来を少しでもいいものにして家族を安心させたい、なんて思いが浮かぶが、そのための「今」を頑張ることができない。まったくできない。精神が安定しない、どんどん荒んでいく、孤独で悲しい。何もやりたくない。愚痴をグダグダと吐いてしまう。殺してほしいと願う。

ところがどっこい、頭はよく働き身体も健康であり病気一つなく苦しいところはなにもない、しかも、日常生活を不具合なく送ってしまっている自分はいる。それは自分と言うよりは、丸く収まっていて他人に近いけれども。

私はどうして生きているんだろう。戻ることのできないレールの上を走っている感覚で、行き先まではまだまだずっと長いのに、気力はとっくに枯渇している。でも、いまさら止まるわけにもいかない。投資した時間と金と労力が戻ってくることを願って自己への投資をやめられない。短絡的にしか自分の人生を考えるできない。未来どころか先を見ることも知ることも考えたくない。

あぁ、もう考えたくない。行動したくない。めんどくさい。私はいま誰よりも自由だ、なんでもできる状態にある、そして、なにもしたくない状態になっている。すべてから逃げ出したい。けれど、逃げたところで、もう何も残すことなく、こちらに戻ってくることが出来なくなるのなら、つまり今の状況とまったく変わらない。

 

だから、私は、動かないこと・不動を選ぼうとしている。

いったいどうしてこんなことになってしまったのか。

なにがどこまで間違っているのか、わからない。

私の心を曇り空のように広く覆う「むなしさ」

自分を本気にしていける力は、どこに隠れているのか。

自分が心からしたいことをやるのが大切なら、私はもうなにもしない。

私の中の本音と建て前・欲望と規範、その矛盾同士がぶつかりあって、矛盾を許さず、秩序とあるべき教育者の姿の箱の中に収まろうとしてる。それが窮屈で仕方ない。自由と自己責任が表裏一体のコインだとしたら、いまの私は自己責任の重さに耐えかねて、コインをもういっそ投げ捨ててしまいたいと思っている。

 

自己の認識を認知療法をつかって変えたいが、変えようにも自分以外の誰に頼ればいいか分からない。頼れない苦しみは一生つづいてるような辛さがある。でも分からない。

否、誰かに頼る寸前までいつもいくが、いつも手をひいてしまう。てきぱきと行動の選択を進めることができない。選択することすらめんどくさいのだ。

気持ちは一瞬だ。センターの予約をしてどうのこうのという手順を踏めば、もうこの私は、この思考は、それが出来るころにはいなくなってしまうのだ。

この悩みは、いわゆる河をときどき泳ぎに来るニジマスみたいなものだ。思考の流れと言う河を、泳いで過ぎ去っていくニジマス、私の脳はそれに魅せられている。私がここに紡ぎ出す言葉は、とてもふわふわで軽くてマシュマロみたいに柔らかい、すなわちいい加減で、なにひとつ真実味が無い。つらいと言いながら、客観的にはなにも辛そうな状況ではない。

 

でも、真実に近い核心部分はある。それは「仲間が欲しい」ということ。

私が「仲間」だと認めることが出来る仲間。めちゃくちゃなことを言えば、

「私にとって都合がいい仲間」 たとえば、外見的にだけその姿を借りて、

中身は、自分にとって都合がいい設定を施した存在。

距離は中途半端だが、自分の悩んでることを見ていてくれて、承諾してくれる存在。

つい先月までは、いたはずだったがーーー。

信頼関係を作り出そうとすることができなくなってしまった今の自分。幸せになりたいのに、なろうとすればするほど、耐えなくちゃいけない理不尽もしがらみも傷も増えていくことを、感覚でわかってしまっていて、すんなりと出来ない。

 

 

・・・仲間がほしいが、仲間がなんだかわかんねぇ。

本当は、気付かない振りをしてるだけで、周りに仲間がわんさかいる。

でも、それを仲間だと私は気づけていない。話すことが何もない仲間。

そいつらと気を軽くしようと思って言いあう愚痴は、ふわふわと空間を舞いシャボン玉のように消えていくから、まったく意味がない。なにも自分に残してくれない。満たしてくれない。

そいつらと話すうちに、食欲も性欲も名誉欲もいろんなことが満たせるようになれたらいいのに、とよく思う。自分の欲を満たしてくれる存在に会いたい、そうおもう私は自分のことをクズだと思う。

 

 

 

それらの欲を満たしてあげるのは、自分自身だ。

Love yourself。ご自愛ください。

それは、世界で自分だけにしかできないことだから。

 

--むなしかった気持ちは、ここまで書いてスーッとおさまった。

思考の河を流れるニジマスもどこかにまた消えていった。

心は落ち着いて、精神的な平穏が訪れる。思考の川を流れていく言葉たち。

それを、とにかく書き出して形にしてみた次第。心の安寧を守るために頼るべき友たちは、全員、別の環境に出張している。それがこんなにもつらく、自分を情けなくしてしまうことだとは思わなかった。