過渡期


グレイブホーンは言った。

「人生の過渡期である」と。

私の今の悩みに対して、彼はそう答えた。


7月に入る折、私は、職場でも居場所を上手く見つけられず、離れてしまった大学とも徐々に心理的な距離が開いていた。


昔、卒業した中学生や高校生が、地元の学校を尋ねてくる。その感覚と、今の私がやってる行為は同じだと思う。


私はやっと、自分を語れる自由な時間を、たった1日だけ手に入れた。言うなればこの記事は、社会不適合者だと気付かされた私の、新社会人としての3ヶ月間のまとめである。


聞いてくれる人がいないのではない。

ただ、人前では気を遣って、話せないことが増えていっただけなのだ。自分を理解してくれる人が、新しい環境では少ないから、上手く自分のペースで話すことはできない。

職場とは、そういうものかと思う。でも、これまでの大学の環境は、まだそうでもなかったから、自分の知らない職場、という環境はまだあると思ってる。


なんとなくだが、周囲に溶け込めてる気がしない。

人との感覚のズレを感じて、心の余裕がなくなり、しんどい。

自分を克服しようとしてるが、努力が思うように出来ず、慣れに頼っている。


そんな自分を責める私に、

グレイブホーンは言ってくれたのだ。

「人生の過渡期である」と。


KYOTOというダンスホールで、俺たちは坐禅をして心を静め、再び朝まで踊りだす。

5時起きの国、ゴジオキニアでは、住民は朝5時に起きて、生活を始める。仕事に行く前に自らの時間を生みださなければ、成長や発展は見込めない🏃‍♂️

そんな過酷な人種へと、変化していく過渡期。ゴジオキニアの国において、KYOTOは気分の転換を図れる憩いの世界であった。



私の日常は、2つに分断されている。

2つの人間の人生を歩んでる。

すなわち、1つは少年院の先生としてプリズンで共に生活をする自分。

もう1つは、大学を卒業した自分としてプリズンブレイクを果たし、アマークという昼食屋で元気をチャージして、大学時代の彼女と共に生活をする自分。

常に私は行動を続けている。

その中で、頭がまっしろというか、もう頭そのものが働いていない。心の余裕が無くて、見えてるものすら見えてない。そういった日が増えてきた。


自然とお腹を壊すことが増えてきた。

息がつまるようなきつさが増えてきた。

職場に行く前に嗚咽をたくさんするようになった。

それでも職場にいけばスイッチが入り、ひとまず頑張れるようになったが、職場に行ってもサボるような日も増えた。

自分がどのように動くのがベストなのか、自分でも分からず、職員の先輩に聞いても、誰も答えを持ってない。そんな環境にいる。


他人に答えを求めるべきではないと社会人はいうが、答えを持っていないから、求められても困るのだ。

こたえというは、自分の中にあるのだから。

それを、自らが慣れて行く中で探さないといけない。


グレイブホーンは言った。

「人生の過渡期である」と。

今を乗り越えれば先は見えてくる。

仕事を続けるか、今ここで死ぬかの2択しかない私は、電脳世界の海に逃げる術も失い、そして、KYOTOの庭園の中で坐禅することを誓ったのであった。